DV・・・そして妻子が消えた。DV加害者の後悔日記

DV夫が、行政に強制保護された妻子を取り戻すまでのブログです。

弁護士へ提出した書類 ①妻に対する暴力事件に至るまでの経緯

私のことを理解してくれた上で対応してもらいたいと、弁護士に3つの書類を作成して渡した。

長文になるが、ここにも掲載しようと思う。

 

<妻に対する暴力事件に至るまでの経緯>

妻が「普通」ではないことに気づいたのは、息子が幼稚園に入園する直前の5年前でした。

息子が幼稚園に入園するにあたり、幼稚園の制服をしまうスペースを確認するべく、子供の服が入っている衣装ケースを私が確認しました。すると、息子の服も娘の服も、上着も下着も分類されず、さらには畳まれずに鷲掴みでギュウギュウに詰め込まれていました。整理して確認すると、片方しかない靴下が20足以上も出てきました。

これは普通ではないと思い、東京都心身障害者福祉センター多摩支所に判定をお願いしたところ、知的障害4度と判定されました。

 わざわざ障害者手帳を取得した理由は、

「手帳を取得したら、家事支援などの行政からの支援を得られるのではないか」

と思ったこと、さらに

「私が『妻は障害者だからできなくてもしょうがないよね』と自分を納得させるため」

という理由もありました。

 

 しかし、行政からの支援はないことがわかり、その上、私自身を納得させることもできずに、この頃からDV思考にはまっていってしまいました。

 

 「できない妻をできるようにさせる。」私が事件後に購入した本「DVはなおせる!(さくら舎・栗原加代美著)」を読んで、この思考がDV思考であることを学びました。

 

「水道の蛇口から水がポタポタ垂れている。」

「冷蔵庫のドアが半開きだ」

「靴をそろえろ」

「使った物は元の位置に戻せ」

「二人の子供の母親が子供に教える立場なのに、自分ができなくてどうする」

 

 妻は何度も同じことを繰り返し、口で言ってもなおならいなら、と、次第に手を上げるようになってしまいました。

 私自身、悪いことをしたら、家庭でも学校でもたたかれて育ったので、そんなに悪いことをしている自覚がありませんでした。「たたかれたくなかったらたたかれないようにきちんとやればよい。」と、「私が正しい。あなたが悪い。」という、これも本「DVはなおせる!」でDV思考であると書かれていましたが、私はその思考にはまっていってしまいました。

 

 本「DVはなおせる!」に、「加害者がやっている、関係を破壊する致命的な7つの習慣」というものがありました。

「批判する」「責める」「文句を言う」「ガミガミ言う」「脅す」「罰する」「褒美で釣る」

 私が事件後に自分自身を振り返ってみると、「褒美で釣る」以外の6つが自分自身に当てはまっていました。

 

 暴力が特にひどくなったのは、事件前半年くらい前からでした。

 妻は、私のせいで家に居づらくなったのか、家を空けることが多くなりました。昨年の11月には、1ヶ月近く家を空け、私が警察に捜索願を出す相談をするところまで至りました。警察に電話した直後に妻から「帰る」と電話があったので、捜索願は出しませんでしたが、私は休みなく働いている上に、夕飯など子供の面倒をみるなど多忙を極めて、疲弊していました。

 

 その後も妻が度々家を空けることが続きました。19時頃に出て行き、子供たちが寝たか寝ないかの22時過ぎに帰ってくることが多かったです。どこでどうしているのかと私が妻に電話をしても、妻が電話に出ることは絶対にありませんでした。

 私は、「働かない妻が、働いている私に夕飯を押しつけて、ぷらぷら遊び歩いていること」に対して怒りを覚えましたが、特に「妻が家を空けることで子供たちを傷つけている」ことが許せませんでした。

「ママ、帰ってくるのかな」などと、子供たちの寂しげな、不安げな表情を見て、私の妻に対する怒りは頂点に達しました。

妻が帰ってくると、私は「子供たちがどんな思いをしているのかわかっているのか!」と暴力を振るい、それが原因で妻は家を出る。その悪循環にはまってしまいました。

 

 「私のせいで妻が家に居づらくなっている」とは、当時は考えられませんでした。「家を空ける妻が悪い。私は正しい。」のDV思考にはまっていました。

 

私は妻に、「子供がかわいそうだから、夜、家を出ないように」と何度も話をしました。「家を出るときは、どこに何をしに行って、何時に帰って来るか家族に告げてから出ること」「私からの電話には必ず出ること」お互いに正座をして目を見て話をして約束をしました。そして「次、夜無言で家を出て行くのだったら、二度と帰ってこない覚悟で出て行け。」と最後通告をしました。

 

それなのに、また、事件前夜、無言で家を出て行きました。電話をしても出ません。子供たちの寂しげで不安げな顔を見て、私の怒りは最高潮に達してしまいました。

そして、翌朝帰ってきた妻に対して「子供たちが夜どんな思いで過ごしていたのかわかっているのか!」と、何度も殴ってしまいました。