DV・・・そして妻子が消えた。DV加害者の後悔日記

DV夫が、行政に強制保護された妻子を取り戻すまでのブログです。

見つめ直しも終わった?カウンセリング。

カウンセリングに通い始めてから約5ヶ月。

はじめは隔週で通っていたが、

金銭的にきついので、3週に一回通っていた。

 

しかし・・・

婚姻費用分担金、6万円はきつい。

カウンセリングの間隔をもう少し空けてもらおうと思っていたら、

カウンセラーの方から話があった。

 

「現状、見つめ直したことを実践する機会もないので・・・。

かといって、いきなりやめるのもどうかと思うので、

何かイベントがあったときに来る、という形にしてはどうですか。」

 

カウンセラーも、見つめ直しは終わったとの認識か?

 

というわけで、次回は第2回離婚調停のあとに行くことにした。

 

次の調停まで、まだ1ヶ月も先だ。

寒い!外も、懐も・・・。

冬は光熱費が高い!

 

夏は、冷房の電気代だけだが、

冬は、

風呂のガス代、

ホットカーペット、エアコン、電気ストーブの電気代、

石油ストーブの灯油代・・・。

それでも今までは、家族4人が暖まればと頑張ってきた。

 

子供たちは、石油ストーブが好きだった。

その上で、

煮込み料理を作ったり、

焼き芋を作ったり、

銀杏を焼いたり・・・。

 

急に寒くなった。

木枯らしも吹いた。

3日連続で、贅沢にも風呂を沸かしてしまった。

 

婚姻費用分担金6万円。厳しすぎる。

 

何を節約しようか。

 

水は、基本料金分使っていない。

水の節約は意味がない。

あとは、電気代、ガス代、灯油代の節約だ。

この冬は、どのように寒さをしのぐか・・・。

 

今日は足を洗うだけで終えた。

シャワーを浴びたら寒い。

ガス代を節約する。

 

幸い、ひもじい思いをしていないのでご心配なく。

今日の晩飯は、親子丼。

タマネギましまし、

ベランダ菜園のニラましまし。

私に正月はない。アルバイトで気を紛らわせる!

年末年始。

個人塾の冬期講習。

ここ3年、コロナで実家に集まれなかったので、

私が3段のお重を満たすおせち料理を手作りした。

・・・と、多忙だった。

 

子供たちは、3が日、毎日飽きずに「今日もおせち料理を食べたい!」

と、私のおせち料理は大好評だった。

母曰く「かってきたおせちは甘くてすぐに飽きちゃうんだよね。

だから、手作りがおいしいんだ。」と。

 

今年はひとりぼっちの年末年始。

仕事なく、ただ一人で家に居るなんて耐えられない。

だから、年末年始限定のアルバイトに応募した。

 

実労8時間、休憩含めて9時間拘束、日当1万円。

個人事業主としてはかなり厳しい条件。

でも、しょうがない。

 

年末年始と感じたくない。

過酷な労働で、気持ちを紛らわせる。

寿司作りの単純作業。

帰りに寿司をもらえないのかな~。

 

大きくなったお友達。

息子が小学2年生になって、

クラス替えで新しく親しい友だちができた。

 

事件後、そのお父さんから

「息子が(私の息子に)会いたがっているのですが、電話だけでも話ができませんか?」

と、メールが来た。

私は

「妻が子供を連れて出て行ってしまい、連絡が取れないんです。」

と、返信をした。

「そうですか。大変なときに申し訳ありません。」

との返信。

 

先日、私がポスティング中に、

ある男の子からの視線を感じた。

目を合わせると、その、息子の友だちだった。

9ヶ月会っていないだけなのに、

もう大きくなり、「面影」を感じる程の成長ぶりだった。

 

私は「○○君?」と尋ねると

男の子は黙ってコクリと頷いた。

私は思わず「大きくなったね。」と言った。

 

いろいろな思いがこみ上げた。

私の息子も、このように見違える程に成長したのであろうか。

この友だちは、どんな思いで私を見つめていたのであろうか。

妻の話によると、息子も、帰ってきてこの子に会いたいって言っているそうだ。

(でも、パパと一緒に暮らすのはイヤだと言っているそうだ。)

 

皆の生活を崩壊させた私。

 

一人涙。

誕生日(だった日)

家族の誕生日には、

私の手作りケーキで誕生日を祝った。

子供たちも、ハンドミキサー

スポンジや生クリーム作りを楽しそうに手伝った。

 

板チョコの裏に、生クリームで

「おたんじょうびおめでとう」

などと、子供たちが苦労しながら書いた。

 

また、回転寿司屋などに行って、外食を楽しんだ。

 

事件の直前、娘の誕生日を家族4人で祝ったのが

今のところ家族4人で過ごした最後のイベントとなってしまった・・・。

 

私の誕生日だった日。

妻から「おめでとう」と電話があった。

 

娘も電話に出た。

「これから買い物に行って、パパの誕生日プレゼント買うんだ!」

って言われて、にわかに信じがたかった。

だって、会えないんだから渡せない。

 

買い物が終わった後、また妻から電話があった。

「娘が会いたいっていっているんだけど、会えない?」

「会えるわけないじゃん!」

「娘が今、パパに手紙を書いている。」

 

100円ショップで何かを買ったようだ。

娘はどのような気持ちでパパの誕生日プレゼントを選んだのか、

そう考えると、胸が苦しくなる・・・。

祝ってあげられなかった・・・七五三。

早生まれの娘。

七五三はいつやるのだろうかと思ったが、

そもそも、昨年、父が亡くなったので、

昨年七五三を祝う選択肢はなかった。

 

今年でいいかと思っていたら、まさかのこんな事態に・・・。

 

私の中の記憶の娘は、9ヶ月前から止まったままだ。

もう、すっかりお姉さんらしくなったのであろうか。

 

電話で声は聞いている。

「パパに会えるの?」

「いつかね。」

「いつか?裁判所で会えるの?」

「裁判所では会えないな。」

 

ガチャン!

 

公衆電話、100円2分30秒。

 

次の離婚調停はまだ一ヶ月以上も先だ。

面会交流を取り付けるのはいつのことになるやら。

離婚調停:1回目・弁護士との会話

調停は、13:30からだった。

Yahoo!の路線情報の通りに行ったのだが、その予定より10分早い13時に着いてしまった。

裁判所の近くで10分ほど時間を潰してから中に入った。

すると、すでに弁護士は待合室にいた。

臨戦態勢バッチリの様子か。

 

そんな弁護士に、私は

「もう(家族と再び同居することを)諦めた方がいいのかとも思う。」

と話をしたら、弁護士は

「本当にそれでいいんですか!」

と言われてしまった。

 

弁護士事務所で話をしていたときは、弁護士は私の話を淡々と聞き、淡々とメモを取るだけで、そんなに熱い弁護士だとは思っていなかった。

むしろ弁護士に対して、不信感というか、不安を持っていた。

 

しかし、弁護士は、私と家族が再び同居できるように、いろいろ考えて、頑張ろうと思っていたであろうと悟った。

 

面会交流も簡単に取り付けられないのかもしれない。

弁護士は「公的機関、FPICを通して面会交流を行う。池袋にある。」

とも言っていた。

なんとか面会交流を取り付けて、「帰りたくない」と言っている息子の心が変わるようにしたい、ということが弁護士の方針だ。

 

その他、弁護士は冗談のように笑いながら「妻子が逃げ帰ってくる」なんていう案も話していた。

私が近くの実家に身を寄せて、私のいないこの家に妻子が帰って来るという案。

 

家に帰ってから、母に調停の報告がてら電話してこの話をしたら、母は真剣に考えて結構乗り気だった。

 

弁護士は、調停員にも熱く語ってくれた。

こんなに親身に私のことを考えてくれている。

私は諦めない。

弁護士に力をもらった。